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ゴジラ(ギャレス・エドワーズ版) ごく個人的体験とネタバレを含む感想

 映画鑑賞。
 DVD鑑賞じゃなくて映画鑑賞。
 どのような違いや差があるかというと、劇場には大スクリーンや迫力の音響などなどの、「ならでは」な設備がありますが、それ以上の大きな違いに、観る前・後を含めた体験感にあると思うんですね。
 あの映画はこうなんだろうか、ああなんだろうか。予告映像や雑誌情報、試写を見てきた人から伝え聞く報に一喜一憂するよし、ストイックに一切の情報をシャットアウトするもよし。それぞれがそれぞれの方法で鑑賞日までテンションをコツコツ高めていく。鑑賞後も余韻を噛み締めつつ、喫茶店でしみじみパンフを読み込んだり、仲間と喧々諤々語らったり。一つのイベントごととしての盛り上がり、思い出体験が堪らんのですね。

 で。
 僕が親のお供ではなく、自ら望んで能動的に親に頼んで映画を見に連れて行ってもらったのって、1984年の『ゴジラ』なんですよね。事前にテレマガだかてれびくんだかの特集で、「謎の超兵器・スーパーX大予想!」というような記事があったのですが、巨大ロボか?! 超高性能戦闘機では?!などとズラリならぶ予想図を見た保育園児は、「これは巨大ロボでゴジラをやっつけるに違いない!」と妄想を膨らみに膨らませて、劇場でややズッコケましたですよw や、あれはあれでアリかぁとは思いましたけど!(巨大ロボVS怪獣映画の夢は、いよいよ昨年、『パシフィック・リム』で叶った訳ですが・閑話休題)
 今回のギャレゴジは、情報をできるだけ遮断して臨んだので、観る前までは淡々としたものだったのですが、いよいよ劇場に入り、中で流れる初代ゴジラのBGM、おっさん中心の客層ながらも、そこそこちびっ子も集った客席などなどを耳に目にしている内に、なんだかどんどん高まってまいりまして! そうだよ、FWからどれだけ待ったんだ我々は!
 そして怪獣王の帰還を見届けた僕。ただただ怪獣王の超ド級の存在に圧倒され、その緊張から開放された帰り道に、「あっ、この事前の高まり!(それは瞬発的なものとはいえ、根本には10年の溜めがあった訳ですからね。デラーズ・フリートなんて目じゃないぜ。) そしてこの開放感と興奮! 保育園児だったあの時と同じだ!」と、1984年のあの日から30年後の今日が線になって繋がった瞬間の興奮、歴史あるものに関わる事でしか感じる事ができない感動を噛み締めてたら、なんだか泣けてきちゃってねぇ。こんな体験滅多にできるもんじゃないなぁと。極々個人的な理由ですが、それでいいの。今回の『ゴジラ』は大変思い出深い、幸福な「映画体験」となりました。映画最高!ゴジラ最高!

 

 

 


~以下ネタバレ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 84&平成ゴジラを、ハリウッド資本でアップデートさせて「今」に当てはめたような作品。素晴らしかった!
 画面に映るゴジラの絵力という物理的な存在感、そして映っていないシーンでも登場人物と我々に圧をかけてくる精神的な存在感の両方がハンパない。正直、怪獣プロレス的な要素は思ったより少なめ。そこを非とする人もいるのだろうけど、それにはパンフレットより、SFイラストレーターのボブ・エグルトン氏の言葉を引用させて貰いたい。「『なかなかゴジラが出てこない』と言ってる人はどこを見てたんだ? ヤツは映画全体を支配してたじゃないか。」!

 

 監督のギャレス・エドワーズゴジラマニアとしても有名ですから、怪獣プロレスを膨らませようと思ったら幾らでもできると思うんですよね。僕も「もう一声!」と思わなくもない所はあるのですが、それこそ抑制・溜め・引き算の美学でしょう。お陰でゴジラとムートーの睨み合いから組んず解れつの大バトルが引き立つ引き立つ!有り難や! 力道山の空手チョップばりに、溜めて焦らしていよいよ炸裂する──。やったぁ、放射熱線だぁぁぁぁ!(ご丁寧にこれも波動砲ばりに、背びれの発光カウントダウンという溜めを作ってからの大放射で、観客のカタルシスが爆発するんですよね。ゴジラ波動砲も日本のものなのに、ついにこの絵を産み出す事はできなかったのよね、新しい!)

 怪獣プロレスに針を振りすぎなかったのは、それこそゴジラマニアの監督ならではでしょう。1954年の元祖ゴジラからはじまり、脈々とシリーズに息づく「核」「放射能」との関係性と、荒ぶる自然・神の象徴たるゴジラ。これもちゃんと、現代に則した形で描いているんですもの!
 二大怪獣の性質上、常に「放射能」というワードがついてまわる本作。制御できぬままに拡散される放射能に対して、それを吸収する怪獣の蛹の性質を利用し汚染区域の浄化を図るも、やがて蛹は孵化、別の制御できぬもの・ムートーを生み出してしまった人間。キロトン級の原爆でも退治しきれないゴジラ諸共、二体のムートーを爆殺しようと、メガトン級の原爆を用意する米軍だが、その目論見は失敗し、自ら用意した兵器に翻弄される。
 果たして原爆はサンフランシスコ沖で爆発。ムートーもゴジラの手によって倒された。「怪獣王は救世主か?」などとゴジラを報じるマスコミ。芹沢博士が語るように、ゴジラとは調和をもたらす存在だとしたら──。散々制御できぬものに振り回されながら、ゴジラを「救世主」と言ってしまう人間の傲慢さ、愚かさよ。芹沢博士は、劇中でこうも語る。「人間が傲慢なのは、自然は人間の支配下にあり、その逆ではないと考えている点だ。」

 その他地震(のような振動)から原子炉倒壊という惨状描写は、東日本大震災からの福島第一原子力発電所事故を受けてのものであるのは間違いないでしょうし、ハワイを襲う巨大な津波、飲み込まれる旅行者の姿も、それを想起させるものです(こちらは映画『インポッシブル』でも描かれた、スマトラ島沖地震がモチーフにされている所もあるかもしれません。) そしてゴジラやムートーに破壊されるビル群はアメリカの同時多発テロ事件をと、まだゴジラシリーズでは描かれていない「今」をきちんとゴジラならではの見せ方で盛り込んでいるのは意義のある事でしょう。

 このようにゴジラシリーズだからこそ描かれる事、ゴジラシリーズに今描かれるべき事をきちんと取り上げ、しっかりドラマやテーマを(怪獣たちを意識させ続けつつ)描く事が、軍隊や怪獣とのバトルへへの効果的な「溜め」にもなっていると感じました。これはやはり計算されたバランスなのかな、と思います。

 


 ビジュアルとしても、前述の波動砲ライクな放射熱線描写をはじめ、「これは!」というシーンが色々ありますよ。
・巨大な津波を起こし、それに人間を巻き込ませながらも全く意に介さず(当たり前だ)、ハワイに上陸、照明弾に映し出されるゴジラの体軀の巨大さよ!(ゴジラの身長が高すぎて照明弾の明かりでは顔が見えない!ここはまだ主役の顔は見せないという良い「溜め」のシーンでもありますね。)

・同じくハワイの空港で、遠景にムートーを望みながら、空港ビル近くに突如出てくるゴジラの足! デカい、デカすぎる! そしてついにその全貌を表すゴジラの圧倒的なビジュアルに、僕は文字通り、誇張なくホントに口アングリ。もう笑うしかないな、と乾いた息笑いを漏らすばかりでした。5億点!

・怪獣をおびき寄せる餌としての原爆を山岳列車にて移送中の米軍が、谷にかかる、レールと枕木以外特に何もないような橋でムートーに遭遇。レールに鼻面を接近させながら、橋の下を進むムートーと、ただただ身を潜めて隠れるしか無い人間。この大きさの対比が素晴らしい。誰です、外国人が怪獣映画撮れないなんて言ったのは!

・Halo降下シーンの出撃前の緊張感、飛び立つ前の男たちの背中! 絵になる! そして降下シーンになると、カメラがFPSのごとく一人称視点になるのですが、いよいよ地上に到達寸前、猛然とバトルを繰り広げる三怪獣のすぐそばを落ちていくという、史上最大の砂かぶり席な視点を体験できます。これも新しい!『ゴジラ』がFPSのような視点でゲーム化されたら、絶対入れてほしい絵!

・Haloで降下した米軍チームが、チャイナタウンでゴジラとムートーに挟まれる形になるシーン(あ、両怪獣は人間ごとき全く目に入っておりませぬw) 咆哮するムートーに対して、吠え返すゴジラ!ああ、オリジナルゴジラよりも咆哮が長い! そして通りに橋渡し状に吊るされた提灯が、咆哮の風圧で大きく吹き飛ばされそうになり、そしていよいよかかるテンションに耐えられなくなった吊るし縄がブチ切れるという、ゴジラの強大さが良く表現される、これも「溜め」が効果的なシーン!


 その他まだまだあるのですが、とりあえずこの辺で。

 


 いやいやいや、怪獣映画として、そしてゴジラ映画としてのビジュアルや物語がここまで仕上がっているものとは。僕の個人的な「体験」とも相まって、特別な一本になりそうな気がします。『パシフィック・リム』を見た時と同じく、胸一杯の「ありがとう」を、焦らしの名人・ギャレス監督と制作に関わった全ての皆様へ!